人もまた、一本の樹ではなかろうか。 樹の自己主張が枝を張り出すように 人のそれも、見えない枝を四方に張り出す。 身近な者同士、許し合えぬことが多いのは 枝と枝が深く交差するからだ。 それとは知らず、いらだって身をよじり 互いに傷つき折れたりもする。 仕方のないことだ。 枝を張らない自我なんて、ない。 しかも人は、生きるために歩き回る樹 互いに刃をまじえぬ筈がない。 枝の繁茂しすぎた山野の樹は 風の力を借りて梢を激しく打ち合わせ 密生した枝を払い落とす・・・・・と 庭師の語るのを聞いたことがある。 人は、どうなのだろう? 剪定鋏を私自身の内部に入れ、小暗い自我を 刈りこんだ記憶は、まだ、ないけれど。 『 樹 』 吉野 弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちのどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目を使わず ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい 『 祝婚歌 』 吉野 弘 確か英語を習い始めて間もない頃だ。 やっぱり”I was born.”なんだね。 受身形だよ。 正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。 自分の意志ではないんだね。 蜉蝣(かげろう)という虫はね。 生まれてからニ・三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね。 蜉蝣の雌の口は全く退化して食物を摂るに適しない。 胃の腑を開いても入っているのは空気ばかり。 ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方まで及んでいる。 それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。 淋しい 光の粒々だったね。 せつなげだね。 『 I was born 』 より 抜粋 吉野 弘 新しい命の誕生にBlogを通じて接し、お祝いの詩をと、詩集を読み返していたところ・・ 心に引っかかってくるのは、お祝いと呼ぶにはどうなのか・・という詩ばかり。 少々落ち込み気味・・。 あの頃の思いは何処へ置き忘れてきてしまったのでしょう? 睦まじく・・どこをひっくり返してもそんな言葉は見当たらない・・。 枝を張っているなどという自覚すらない・・。 ・・・・・。
by yoko59225
| 2005-05-06 01:34
| Book
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ひとりごと・・
落慶法要が終わってやれやれしたら姑が入院・・バタバタの日々は続きそうです^^;
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